つぶやき

日々感じたことをつぶやいてます。

ただのつぶやき

どんなに計画しても進まないことはある。

それでも、試練と受け止めて進めていっても、思わぬことで打ち砕かれる。

もう立ち上がれないと思わせるほどに。

 

今私は、のんびりと暮している。

朝起きる時間は自由で、食べるものも困らない。

仕事の時間も自由で、それを咎める者もいない。

怠惰過ぎて不健康になっても、妻の薬膳が治療してくれる。

それでも聞かない場合は、掛かり付けの医者に行く。

内科の医師だが漢方医を主体にしている。言われることは「良く噛め」「早く寝ろ」「腹を冷やすな」「ストレスを溜めるな」「今できること以外考えるな」だ。

至極最もな意見であるのだが、誘惑の多い大都会で10時に寝るなんて、よほどのご老人以外考えられないだろう。

そんな言い訳しているから、いつも笑いながら怒られる。

そんなひと時も実に楽しみな時間だ。

 

私の仕事は、魂に関する全ての事案を手掛ける。

そう言ってしまえば、人生そのものにも関係するし、人の生きざまの全てにも関係してしまう。

実際そうだ。

事の始まりは、30歳になる直前から始まったのだが、今思うとそれまでこのために様々な修行をしてきたんだ。

周りの人には「なぜ、そんなに生き急ぐ」って言われたっけな。

悪どいこと、法的にいかんこと、人的にいかんこと、逆に良いことも経験してきた。お金も稼いだし、使ったし、無一文になったし、結婚して離婚もして、また結婚してるし。

会社に勤めて、嫌になってフリーになって、無一文になって、会社やってくれんかと頼まれた流れで、会社経営して、潰して、妻の紐になって、インドに行って・・・。

学生時代は至って普通に過ごしてきたように思うが、高校生の時は真面目に学校に行かなかった。

人は、やりたくないことはしない。

本当にそう思う。

それでもやらなくちゃならん人は、それ相応の理由がある。

その理由も実は自分が望んで作った陰の部分だったりするが・・・。

その理由がなかったら、やらんし。

また、やりたいことだけして生きている人は、とても少ないように思う。

 

今なんでこんなことを書いてるか。

自分のやりたいこと、使命的な何かを模索しているからだ。

一般的な人には考えられんだろうが、ほぼ、遊んで暮らしている。

お金は必要な分は、必然的に入ってくるようになっている。

欲張ったものは買えないが、必要ないし。

必要ならば、その分仕事が入ってきたり、突発的な何かで入ってくるので買い間違えることもない。

心の中からいろんなものを手放してしまって、実に心にゆとりのある暮らしをしている。本音は都会から離れて田舎でひっそり暮らしたいものだが、まだ時期が来てないらしい。

そんな暮らしなので、考えることも少ない。

いちいち自分と向き合って、心の歪みを見つめては手放して行くので、年を重ねるごとに心が軽くなっている。

 

スピリチュアルに目覚め、貪るように体験を重ね、経験を積んで来た。

思い返してみたら、全て必然の縁で、自分にとって必要な体験を共有してくれた人たちと出会ってきた。

それも分かりやすく、段階を確認するかのようにだ。

はじめは偶然の一致の連続から、インドに旅立つまで。これがまた劇的な流れで、自分でもびっくりすることばかり。

インドから帰ると第二弾が待ち構えている。霊的な存在を受け入れる試練。

第三弾は、霊的な仕事を始める。第四弾は、霊的な仕事の幅を広げる。

第五弾は、魂を知る。第六弾は、魂を知ろうとする人たちを応援する。

今、ここに居るんだな。

 

さて、自分のやりたいことはなんぞや。

ふと気づけば、書いていくうちに考えてきたこと、思っていること、忘れてしまっていることが思い出される。

 

なるほど、そういう意味で書けと言っていたんだな。さすが主護霊。

 

そうか、心の声をそのまま書いていけば、自分でやりたいと思っていることを言っていたりするかもしれん。

ほぼ、独り言的な文章になっているとは思うが、よしとする。

 

やっばり、仕事と向き合えるスペースが欲しいと言えば欲しい。

去年しくじったあのやり方ではないんだろう。もともとは、家に来ていたお客さんたちが、なかなかしたいのにやらんから、家を貸して始めさせたことがきっかけだった。そう考えると自分たちの入る余地などなかった。

そりゃ、交通事故に合って、止められるわ。

散々お膳立てしたので、これはこれで良かったこととする。

 

怠惰な暮らしがすっかり板についてしまったので、できれば自宅兼仕事場にしたいな。

生活スペースとは別に二部屋仕事場にできればいい。

自分らもある程度スイッチングもできるようになるだろうし、一番はいつまでも仕事している感覚が自律神経をおかしくしている気がしてならない。

 

でも、昔はずーーーーっと仕事ばかりしていたのになぁ。

 

スピリットにもガツガツしなくなってきたし。

指導する立場にいつもいるが、指導しようとしなければ、勝手に学ぶ。

だから、あまり口を出さず、必要な時だけ話すようにしている。

で、できるだけお膳立てしない。

相手が偉くなってしまう。

 

何から何まで手放してしまっていいものだろうか。

好きなことは、スロット打つこと。スピリットの話をストレスなくすること。

 

全く最低だぜ、と何度思ったことか。

大体そういう時は、自分の思うように事が運ばない時。

そもそも。奪い合う場にいるんだし、与えていても、さらに奪っていくような世界だ。

少し奪ったら、ものすごい剣幕で被害者面する人たちの中にいるだけで、

ストレスはマックスだ。

 

さて、自分の中に入ってみよう。

とにかくイライラするのは、思うように事が進まないからだ。

それ自体に問題があるのかもしれない。

そう、期待している。

自分の都合でしかないのだ。

敢えて選択して、そう期待して、思ったようにならないと文句を言う自分の癖。

これを克服せにゃならん。

ただ楽しむ。期待とか自分のこうなったらいいな・・・を無くして、

ただ楽しむということが出来てない。

 

ふと思う。

どんな時が楽しいのか。

自分にとって純粋に楽しめるものってなんだろう。

 

学生時代、ギターを手にした時、また弾けるように努力していた時、

それは楽しかったな。

バドミントンが出来るようになって、ゲームの中に没頭できた時、楽しかったな。

霊のことや神のことを学んでいる時、没頭している時、楽しかったな。

 

そう、没頭できるもの。

夢中になれる時、自分は楽しいと感じている。

 

今、何に夢中になれるのか。

自分の全ての行動を監視しつつも、周りとのバランスを意識している。

自分のところで学んでいる人たちも意識の中にある。

スロットが好きなのも、夢中ではないが没頭できて、自分だけの時間を過ごせるからいいのだろう。

こう書いている時も、脳裏では瞑想って言ってくる。

自分を映す鏡は、世の中にわんさとあるはずなのに、見ないようにしているだけなのか。

もう外側を必要としなくなっているのか。

何をしていても、どこか虚空というか虚無的な風を感じている。

たぶん、自分の何かが満たされていないからなのもわかる。

自分を満たすのに、外側は必要なのか。

きっと、内側に意識していった方が満たされるんだろう。

まだ手放すことがたくさんあると思う。

 

そうだ、むきになる自分。

負けず嫌い、支配型のコントロール、勝つ喜び・・・これらを手放してみようか。

手放してしまったら、スロットがつまらなくなるだろうな。

  

スピリチュアルな本は、よくもまあ読み漁った。

書店に行っては、気になるものを手にして読んだものだ。

ただの読物では終わらないのだ。

その内容を理解するのに、出来事を通じて、体験し、経験してきた。

そういった面では、引き寄せ力抜群だったかもしれん。

 

神との対話シリーズ、波動の法則など物理的側面からみたスピリチュアルアプローチは

かなり面白いと思ったし、納得もできた。

厄介だなと思ったのは、心理的側面からのアプローチだ。

なんせ十人十色な人の世では、人の数だけ心理があるってものですから。

神学、霊学、心理学、身体学あわせて人間学なんだよねぇ。

幾多もの階層から人のエネルギーってできていて、そのどこにアクセスして

今を生きているかで、同じ出来事でも共有観点が全然違ってくる。

そこのズレを正邪で判断しだしたら、まず喧嘩になるか、疎遠になるか、

イライラし合うか。

ということで、判断すら要らなくなるんだけれども、一般的な世の中に出してしまって

も、まず通用しない。

 

吾輩の学びは、本で読み、出来事を通じて体験し、何度も経験を積んできたものです。

また、人との出会いの中、気づいたことも多くあります。

  

ものを書く人ってすごいよね。

自分も書いていて思うけど、表現方法、伝え方、そういうのに悩むんだよね。

悩まず書いた方がいいのかもしれんけど。

 

なにはともあれ、やりたいことと夢中になれることはある意味イコールになるな。

夢中になるには、他人とも楽しまにゃね。

 

時間を作って、何かに没頭してみるのもいいかもしれん。

さて、何に没頭しようか。