つぶやき

日々感じたことをつぶやいてます。

トラウマと植えられた観念

幼少期、いろんなことに興味を抱き、手に取るもの全てが物珍しく思えたことでしょう。

無邪気に笑い、泣きしたものです。

そんなときに、思いもよらない出来事に遭遇し、得も言われぬ恐怖や不安、物悲しさ、苦しさを体験してしまった時、トラウマになることが多いのです。

またその子供もきちんと自分の意志を持っています。

おぼつかない知識と知恵の中、子供ながらの決断を下してしまうこともあるものです。これを観念といいます。

親に教わったこと、学校で教わったこと、社会で培ったこと、観念は様々な分野にわたり働きます。

 

いつしか時は流れ、いい大人になった時、似たような出来事と遭遇するとトラウマ化した記憶が突然蘇ってしまうこともあります。

そのことが問題となって、心を病む人、悩みを抱えてしまう人もいます。

 

育った環境を選べないとよく言いますが、実は観点を変えると、自分の選択であるともいえるのです。

その真実は、自分から見たものともっと大きな視点から見たものでは、捉えどころが変わってきます。

 

もしかしたら、今の考えが間違っている。

あの時下した決断は、視野が狭かった。

などと自分を省みる行為が出来る人は、そう悩まずにすむでしょうが、衝撃的な事実を孕んでいると、そうはいかなくなったりするものです。

心も体も記憶に頼り、直感、閃きに頼り、想像に頼り、自己を形成していきます。衝撃的、驚異的な出来事には、それを固定してしまうほどのパワーがありますから、心も体もある一定の振動を記憶してしまいます。

その振動と出合った時、自己防衛本能が働いて、排除してり、否定的になったり、また逃避などといった行動を引き起こしてしまうこともあるのです。

その行為のループが、成長の妨げになっていならば、心の奥の自己は、それをなんとか変換して、より成長した自己となるべく働きかけてくるものです。

同じような現象、出来事を何度も経験させてきます。

深層にまで達しているならば、余計に強く働いてくるでしょう。

それらを受け止めるだけの容量が心にない場合は、パニックを引き起こしたり、行為自体をやめてしまう鬱になったり、また乱暴で凶暴になってしまうこともあります。自虐行為を続け、自己を傷つけ続けてしまうのです。

 

それらがまたさらなる傷を生み、心も体もズタズタになってしまうことだってありうるのです。

 

 

 

いくら自分の中に隠し、蓋をしていても、心の闇の中で暴れだす時はあります。

そうなったとき、話せる人は近くに居ますか。

 

いくらでも解決方法はあります。

ただし、それらと向き合う覚悟は必要です。