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つぶやき

日々感じたことをつぶやいてます。

冷酷無比

これは悩むわぁ。

 

魂は助けたい。

自我は助かりたくない。

 

鏡の立場になったとき、届かない思いは実に虚しい。

鏡の立場になったとき、反発反論反作用・・・痛い。

鏡の立場になったとき、そのまま映したらガチ否定・・・マジむかつく。

鏡の立場になったとき・・・あなたはどうしてる?

 

今日も、その対応に悩んでました。

自分は、ぶち壊して、終わらせるのですが、仲間はそうもいかん時がある。

しかも、のしまで付けてくるから困りもの。

 

そこで龍神に相談した。

どうしようかのぅ・・・?

龍神は、助けたいなら手を差し伸べ、そうでないなら冷酷無比になるしかない。と。

だよね・・・。

だが、この冷酷無比は、自分らしいのか・・・?

自分として受容できるのか・・・?

パッツリ切れないのが心の働き。

恩着せてくるものも、怨着せてくるのも、遠のく心の隅っこに追いやる性。。。

 

これも一つの学びなんですがぁぁぁ。

在る人は言った。

「嫌いな人も愛を持って接していく」と。

さすがな一言でした。

まぁ、そうなんだよ。

冷酷無比は悪でも何でもなくて、ただ冷酷無比なんだわ。

言ってしまえば、愛の中にあるもの。

心を鬼にする感じで、閻魔様みたいな感じ。

 

無意識の領域なので、当人たちは全く気づいてらっしゃらないのさ。

ある日突然、心のどこかが痛む感覚。

だけど、無視しようと思えば出来る程度。

そんなところ感じて、悩んで、いちいち答えだして、どうにかして。

痛い痛い痛い。

 

現実にも色々起きて、痛い痛い痛い。

揉んで解してどうにかなれば楽なんだけど、

痛みのリフレインは対処しようがない。

 

こんな痛みを心の隅っこに追いやって、放っておけるほとんどの人間。

 

私の答えは、こうだ!!ってあるんだけど、

あるんだけど、

あるんだよ・・・。

 

相手から受けなければいいんだよ。

究極の技なんだよ。

ある意味、冷酷無比と同じ働きなんだよ。

 

まだ修行中なんだよなぁ。我々も。

 

 

 

 

小さい時から、何になりたいかがわからなかった。

小学校の作文で「将来の夢」というお題があっても、何を書いていいかわからず、当時読んでいたマンガ、ブラックジャックから外科医なんて書いてたなぁ。

少年野球、バドミントン、バンド活動・・・どれも楽しかった。

しかし、続けていきたい欲求はなかった。

高校の時も、全く将来が見えず、何がしたいかもわからなかった。

卒業し、バイトをはじめた。

就職もしたけど、数か月でやめた。

ダラダラと流れるまま、芸能の仕事をしていたけど、本当にやりたいことなのかというと、そうでもなかった。

タレントや俳優を売りこんだり、スケジュールの管理したり、当時の仲間たちとワイワイ飲んで遊んで暮らす日々。

楽しくはあったけど、やりたいことなのか・・・問われるとそうでもなかった。

ただ、人の成長を見たり、可能性を応援するのは好きだったな。

自分の会社も持ったけど、社長には向いてなかったな。

応援ばかりして、破たんして。

そのうち、自分のやっていることに疑問を持ち始め、本気で悩んでいたら、夢を見て。

会社畳んでプータローになって。

専業主夫

劇的に変わったのは、インドに訪れてから。

憧れとか、夢とか・・・そんなんじゃない、究極の現実を感じたからだ。

もともと、求道心などなかった。

聖者のハンドパワーを見ても、何も心は震えなかった。

だから・・・何? という感じで。

熱狂する人たちをものずごく覚めた目で見ていた。

皆、神を崇め、称え、尊び、浸る。

しかし、その姿がとても滑稽に見えたのだ。

夢で見た人と会ったりしても、そんなこともあるんやなぁ・・・って程度だった。

 

聖者が師とする聖者がいる。

シルディ・バーバ。

バーバは既にこの世にはいないのだが、亡骸は棺の中にある。

しかも肉体も腐ってないそうだ。実際見てないけど、写真で見て驚いた。

死して、腐りて、大地に還るのが世の常だとしたら、それを超えたということ。

その棺の前で心が躍り、触れた瞬間にバーストした。

訳もなく、号泣しまくること一時間。

そこから、自分の本当の人生が始まったように思う。

 

全くなかった求道心が芽生えた。

少し見方を変えたら、不思議なことだらけの中に生きていることに気づいた。

ヒーラー、霊能者、占い師、超能力者、仙人、チャネラー、聖者などなど。

不思議なことをしている人たちとの出会いが多くなった。

当時住んでいたところの近所に、夢で見た聖者と同門だったインド人もいた。

彼のヒーリングは一回だけ受けたけど、その後は気さくな話し相手になった。

彼はヒマラヤに行くことを勧めてくれたが、叶うことはなかった。

出会うべき聖者の姿を見てしまったから。

 

そういう人たちの中にいると、いろんな影響をうける。

知りたいことも増え、あらゆる本も読みまくった。

マントラも唱えまくった。

 

やがてプロとして歩み始めると、なぜか忙しかった。

仕事相手を通じて、様々な学びがあった。

未熟モノであることをまざまざと見せられることもあった。

悔しく苦しく虚しく悲しい中に、ほんのわずかな喜びがある。

手ごたえのあった時、解決出来た時、相手が笑顔になった時・・・。

その小さな発見と積み重ねと体験。

日々の努力。

 

私は、もっともやりたかったことを今していると思える。

腐ったり、ふてくされて、破壊的になって、自暴自棄にもなる。

その自分の中に埋もれている可能性は、そうなって初めて見つかる。

試して、検証して、確認して、経過をみて、自信にしてきた。

 

はじめから、何でも出来たわけじゃない。

今できることは、今までの自分の掘り返しと、挑戦してやり直してきた賜物。

だから自信がある。

だが、まだ奥は深く、世界は広い。

まだ体験していないことも沢山ある。

命ある限り、生涯学習でありながら、ライフワーク、スピリットワークとして続けていくと思う。

 

 

長文・・・失礼しました。

 

 

 

汐留でランチ

数万年ぶりの友人との再会。

天空ともいえる汐留カレッタの46階にてランチを楽しむ。

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会話も尽きない。

話題も尽きない。

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懐かしい思いと、現実との境目にある。

魂の対話。

相変わらずのあなたと、相変わらずの私。

 

それぞれ人の道は違えども、和する心は魂のままに。

 

いずれ和する時が来る。

下準備は整ったかな。

 

妻とピーちゃんとあなたと私。

 

古き友人との再会に。

 

ペットの霊

昔々、実家で犬を飼っていた。

「ドン」という名前の柴犬の雑種。

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画像はお借りしました。

こんな感じの犬でした。

 

千葉の方で里親募集してる方から譲り受けました。

父は当時、千葉の工場と横浜の家を往復している状態で、一人でいることが多かったため、犬をプレゼントしたのです。

父はすごく喜んで、いつもドンと一緒に過ごしてました。

10年ほど過ぎたある日、雷の酷い日でした。

ドンは気が狂ったようになり、家を飛び出してしまったそうです。

それ以来、ドンの姿を観ることはありませんでした。

 

しばらくして、ばあちゃんが亡くなり、葬式の日、霊感のある叔母から言われた。

ドンは、お前を探して出ていったけど、途中で亡くなったと。

 

後に、ドンをイメージしたら多摩川のあたりまで来ていたようです。

 

それから十数年が経ちました。

ある日、犬の匂いがした。

ん? と思ったけど、ドンか? と聞くと、ほっぺをなめられる感覚があった。

あの世に行かんのか・・・? と聞くと、またなめる。

どっちなんやろ・・・と思っていたが、しばらく気配がなくなった。

 

居なくなったかな・・・

あの世に行ったかな・・・

よかったな・・・

と思っていた。

 

最近のことです。

前にも話したけど我が家には「イチゴ」という座敷童がいる。

そのイチゴちゃんが、ある日とても嬉しそうに走り回って居ました。

でも・・・何かに乗っているのです。

イチゴちゃんは、パーパ、ドン来たよ!! って言うじゃないですか。

 

姿は見えないけど、時々霊媒のピーちゃんに憑依して遊んでいます。

言葉はないけど、霊的な番犬として我が家に来てくれているようです。

いつもイチゴちゃんと一緒に寝て、遊んで、余計な霊を追い払って。

 

有難いことです。

 

通常、ペットの霊は人に尽くした分、犬の大御霊の経験となされます。

犬としての魂の進化に貢献しているようです。

今回のように個別の魂として派遣されるのは珍しいことだと思います。

 

これから、我が家に何が起きてくるのか。

身の引き締まる思いと同時に、懐かしいドンの姿を思い浮かべながら、たまに遊べる歓びをかみしめています。

 

 

左手のヘルプ

身体には、部位によって様々な意味があったりする。

病にしろ、違和感、痛み、痺れなど、いろんな症状が出るが、全てに意味がある。

その原因を突き詰めて、自己の内面的に消化出来たら、治るものがほとんどだったりする。

それがどんな病でもだ。

肉体が完全に朽ちてしまうほど、放置しなければ・・・の話だが。

 

さて、ここ最近は左手の筋の痛み。そして冷え。

ジムでハードワークしたわけでもなく、何かを無理して持ち上げたわけでもなく、ある日突然痛みが走った。

最初は違和感だけだったけど、一昨日はかなりの痛みが走った。

それでメッセを取ったら、ある人の魂のヘルプ。

左手の意味するものにかなり疲弊されていて、ドン詰まってしまっている様子。

さて、困った。

さっそく、魂さんと相談開始。

「どーする?手助けするの?」

『基本的に、魂同士は支え合う』

ま、そりゃそうだよな・・・。

「で、現実的には?」

『こちらからのアクションはない、相手の自我の問題だ』

でしようね・・・。

 

こんな対話を実にしょっちゅうやっている。

違和感とか病的なものだけではない。

食べ物、飲み物、ジムに行く日、仕事の予定、帰省、買うもの、電気製品等々。

生活のほとんどを相談している。

イエスかノーかで決める。

だから、あまり悩むことはない。

言うなれば、神様の言うとおりだし。

 

さて、左手はどうなったかと言うと、原因と状態を把握して、エネルギーを送るんだ。

相手には知らせないよ。

時に、お金を使わされることもある。それは巡って相手の懐に入るんだ。

だから、いつもうちは貧乏なんだよねぇ。困ったねぇ。

ま、それは置いといて、そうして魂のヘルプに応え、こちら側は自我を張らない。

すると、痛みはスーッと取れて、何事もなかった感じ。

そのうち、ポーっと温かくなったら完了の合図・・・なのだが、なかなか冷えがとれない。

冷えは別物だったらしい。

 

で、このことを書いていると、別の魂さんのヘルプが入るが・・・。

右肩が超痛い。

さてさて、これはどう対処するかと言うと、妬みの念も自我から同時に送られているので、とっとと返します。

 

すべて魂さんと相談して決める。

この癖がついたら、ほぼ悩むことはない。

だが・・・カルマ的なものは「気づき」が伴わなきゃダメなことが多いから、いろんな角度から考えて見る。

想定、憶測、疑い何でもありで思考すると、どっかに引っかかりを感じる。

その引っかかりに集中していくと、ヒント的な何かが見えてくる。

そこから紐解いていくんだ。

カルマの対象は人だけとは限らないから、自然にありふれているものから、ペットや車まで・・・。

 

縁あって結ばれる関係なので、当然過去のカルマの問題も出てきたりする。

それらを日々発見しようと意識していたら、今の自分になったわけ。

なんていうか、心の中に解析システム的な働きがあるんです。

少しの洞察と、かなりの観察と、人の心の現わす癖、あとは霊視。

霊視もはじめから出来るわけじゃなかった。

霊能者たちと共に過ごす時間を出来るだけ取った。

そして観察し、洞察し、インタビューし、知識も入れ、感覚と思考の結び方を意識的に行い、当り外れではない直感を発動させるよう意識し続けた。

インドで習った瞑想、マントラの行も続けた。

ある日突然、自分の中で何かが変わって、見えるようになったとか、死にそこなって臨死体験したとか、劇的なものではい。

きっかけは劇的だったけど、それは夢を見たことからシンクロ二シティが連続して行ったことを受け入れただけ。

意識の中から時間と空間の概念を外せば、意識はどこまでも飛んでいく。

感覚の中から、固定観念を外せば、第六感どころじゃなく広がる。

それら全ては人間である可能性の為すことだし、自由意志が与えられているからでもあるし。

そんなパワーを欲しがる人は沢山いる。

もともと、持っているんだから、信じて努力すれば、誰でも身につけることはできる。

 

ただ、信じ続け、努力し続け、葛藤し続けられる人だけなんだよね。

 

こんなヘルプが毎日あるんだよ。

一個だけじゃないんだよ。何個もあるんだよ。

知らんぷりしているようだけど、やれることはやってるよ。

 

子供のとき

ここ数日。子供の時の記憶をさかのぼってみている。

一番古いのは、母親に抱かれて花畑を見ている。

どこぞの花時計なんだろうか。

手すりみたいなところに手をあてて、ひんやりした鉄の感じを楽しんでいる。

 

弟が生まれ、一人遊びをすることが多くなった。

この頃は父親の像がまるでない。

何かしでかすと、母親のびんたが飛んできた。

それはとても痛かった。

それだけ覚えている。

 

次の弟が生まれることは、物心もついて、近所の友達と遊びまわっていた。

日が暮れて家に帰ると、ご飯があって、食べたら少ししてもう寝る感じ。

父親はいつも野球を見ながらお酒を飲んでいた。

時々プロレス。

夕方のアニメは子供の時間だったことを覚えている。

何でもいいからアニメを見ていた。

ただ憧れることとか、そういう感覚はまるでなかった。

必死に自分の時間を過ごしていたのかもしれん。

 

父親は酔うと、遊んでくれるのだが、それが嫌だったかもなぁ。

弟たちが歩けるようになると、キャンプとかアウトドアの遊びが増えた。

川や海に行っては、散々遊んだ。

父親とは、魚とり、磯遊びなんかして遊んでもらったなぁ。

ただ、酔っぱらうと嫌だった。

 

なんでこんなことしているかって?

座敷わらしのいちごちゃんに言われてから。

 

先日いちごちゃんのお家を創ってあげたんだ。

いちごちゃんは、買ってきたパーツをせっせと自分で組み立ててしまった。

ぴーちゃんに憑依してのことだけど。

それはそれは嬉しかったんだろうね。

いちごハウスを見ていると、精霊たちと一緒に遊びまわって楽しんでいるのがわかる。

いちごちゃんには、「パーパ」って呼ばれているんだ。

パーパは、なんでいちごのお家に遊びに来てくれないの?

そんなこというんだよ。

いろいろ話していたら、いちごちゃんはこういった。

「パーパは、子供の心を無くしちゃったんだね。だからいちごのお家に来れないんだね・・・。」って、寂しそうに言われたのよ。

 

だから、子供の時の記憶に楽しかったことを探している。

すんげー沢山「楽しい」があったのに。。。

今は、素直に子供になれない感覚がある。

 

だから、心の中の自分の子供時代に何があったか。

そして、離婚後会ってない現実の子供たちに対する思い。

我が家に生まれ来る予定だった子供が、別次元に居ること。

 

いろんなことが交錯しているが、子供心を掘り出し中だ。

そういう純粋さが、今後のカギなのかもしれんし。

間もなくやってくる次元の変化に対応するためにも、心の奥では必要だと感じている。

 

もうちょっとで、届きそうなんだなぁ。

もうちょっとで。

 

そしたらイチゴハウスでいちごちゃんや精霊たちと遊べるかな。

それは実に楽しみなんだ。

 

 

 

 

間もなく夏至

意味深なメッセージが続く。

夏至は東京を離れ、長野に行くことにした。

田植えの時、斑尾という龍から夏至に伝えることがあると言われた。

いろんな情報が飛び交う中、己の中では、あまりネガティブなイメージはない。

ただ、何かが大きく変化する予感だけはある。

 

地軸がどーたら。

アセンションが・・・。

地磁気が変わるとか。

 

妻の取ったメッセージでは、新たなる星が誕生し、地球に影響を与える。

ピーちゃんがとったメッセージでは、己の中に自然を置け。

私の感覚では、大輪の花咲き乱れ行く流れ。

 

ムムム。

 

地震が来るかもしれんし、何も起こらんかもしれん。

何も起こらんかったと思っていても、次元を超えたところではすげーことが起こるかもしれん。

どーあるにせよ、生きていることには間違いはない。